ルクレティアと夫

『ルクレティアと夫』
イタリア語: Lucrezia e suo marito
英語: Lucretia and her Husband
作者ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
製作年1515年ごろ
種類油彩、板
寸法82 cm × 68 cm (32 in × 27 in)
所蔵美術史美術館ウィーン

ルクレティアと夫』(ルクレティアとおっと、: Lucrezia e suo marito, : Lukrezia und ihr Gemahl, : Lucretia and her Husband)、あるいは『タルクィニウスとルクレティア』(: Tarquinio e Lucrezia, : Tarquinia und Lucretia, : Tarquin and Lucretia)は、イタリアルネサンス期のヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1515年ごろに制作した絵画である。油彩古代ローマの伝説的な女性ルクレティアを主題としている。イングランド国王チャールズ1世とバイエルン大公レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒのコレクションを経て、現在はウィーン美術史美術館に所蔵されている[1][2]。また初期の複製がロイヤル・コレクションに所蔵されている[3]

主題

ルクレティアの物語は、オウィディウスの『祭暦』やリウィウスの『ローマ建国史』で語られている。それによるとルクレティアは傲慢であった第7代ローマ王タルクィニウス・スペルブスの時代の女性で、ルキウス・タルクィニウス・コッラティヌスの貞淑な妻であった。しかしルクレティアは夫の留守中に王の息子セクストゥス・タルクィニウスに脅迫され、関係を強要された。セクストゥス・タルクィニウスが去るとルクレティアは父と夫を呼び出し、女としての名誉と夫の名誉を守るため、すべてを話した直後に短剣を胸に突き刺して自殺した。この事件によりタルクィニウス王は追放され、ローマは王政から共和政に移行したと伝えられている[4][5]

作品

チャールズ1世の時代に、ピーター・オリバーによって制作されたミニアチュールの複製。後代の加筆でルクレティアの胸がシュミーズに覆われる以前の姿を伝えている[6]

「貞節を失った女がどうして無事でいられましょう。コラティヌス、あなたの床には別の男の痕が残っているのです。でも、穢されたのは体だけ。心は潔白です。その証として私は死んでみせましょう。・・・」

リウィウス、『ローマ建国史』1.58.7(岩谷智訳[7]

ティツィアーノはセクストゥス・タルクィニウスに受けた強姦を家族に打ち明けた直後に、自殺しようとするルクレティアを描いている。ルクレティアは右手に持った短剣を胸に突き立てようとしている。その瞬間、ルクレティアは顔を上げて、彼女を照らす神聖な光を見上げている。彼女の白のシュミーズと緑のローブは左の肩から滑り落ち、胸元をあらわにしている。ルクレティアのすぐ後ろには1人の男がおり、背後からルクレティアの腕をつかんでいるが、男の姿は暗い背景の中でかろうじてかすかに見える。

ルネサンス期以降、短剣で自殺するルクレティアは絵画芸術の分野で非常に一般的な主題となった。しかしティツィアーノが彼女の背後に男の人物像を追加した点は非常にユニークである。美術史美術館はこの人物をルクレツィアの夫ルキウス・タルクィニウス・コッラティヌスとしているが[1]、ロイヤル・コレクションはルクレティアを強姦したセクストゥス・タルクィニウスとしている[8][9]。ルクレティアについて語った古代ローマの様々な記述では、ほとんどの場合、彼女の夫は妻の死に立ち会ったが、その場にセクストゥス・タルクィニウスはいなかったとされている。

同主題を扱った他の作品と同様、滑り落ちたルクレティアのローブやほとんど剥き出しになった胸などの官能的な要素を備えている。もともとルクレティアの胸は露出していたが、後代に白のシュミーズが胸を隠すよう加筆された。この絵画本来の状態は、チャールズ1世の時代にピーター・オリバーが制作したミニアチュールの複製でうかがうことができる[6]。ローブの緑色は特に明るく、ヴェネツィアで入手できた高品質の顔料を使用して描いたことを証明している。

たがいに頭部を近づけた2人または3人の半身像を描いた1510年代の数多くのヴェネツィア派絵画の1つであり、その表情や相互作用はしばしば謎めいている。これらのほとんどは、主題が不明な「ジョルジョネスク」様式あるいはトローニー(英語版)を主題とする絵画である。

ティツィアーノへの帰属は絵画がチャールズ1世と大公レオポルト・ヴィルヘルムのコレクションにあった17世紀まで遡る。その後、1860年に画家・美術修復家のエラスムス・フォン・エンゲルス(英語版)によってパルマ・イル・ヴェッキオに最初に帰属されたが、ロベルト・ロンギ(英語版)は1927年にティツィアーノに再帰属した[2]

来歴

美術史美術館あるいはロイヤル・コレクションのバージョンは、おそらく伝記作家カルロ・リドルフィが1648年にチャールズ1世のギャラリーにあったと言及した絵画かもしれない。チャールズ1世が所有したイタリア絵画は、主にマントヴァで購入したゴンザーガ家のコレクションに由来している[3]。美術史美術館のバージョンはその後オーストリアの大公レオポルト・ヴィルヘルムのコレクションに入り、ハプスブルク家のコレクションに加わったと考えられている[1]

複製

ロイヤル・コレクションにかなり初期の複製が所蔵されている。年代的には本作品にかなり近いが、ティツィアーノに近い画家の作品ではないと考えられている[3]。ピーター・オリバーの複製はヴィクトリア&アルバート博物館に所蔵されている[6]

ギャラリー

関連作品

脚注

  1. ^ a b c “Lukrezia und ihr Gemahl Lucius Tarquinius Collatinus”. 美術史美術館公式サイト. 2023年11月16日閲覧。
  2. ^ a b “Titian”. Cavallini to Veronese. 2023年11月16日閲覧。
  3. ^ a b c “AFTER TITIAN (C. 1488-VENICE 1576), Tarquin and Lucretia c. 1514-15”. ロイヤル・コレクション・トラスト公式サイト. 2023年11月16日閲覧。
  4. ^ オウィディウス『祭暦』2巻725行-852行。
  5. ^ リウィウス『ローマ建国史』1巻57章-60章。
  6. ^ a b c “Tarquin and Lucretia, Miniature, 1630-1640 (painted)”. ヴィクトリア&アルバート博物館公式サイト. 2023年11月16日閲覧。
  7. ^ 岩谷, p. 122.
  8. ^ Jaffé 2003, Cat no. 36.
  9. ^ Martineau 1983, Cat no. 130.

参考文献

外部リンク

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  • 美術史美術館公式サイト, ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ルクレティアと夫ルキウス・タルキニウス・コッラティヌス』
世俗画
肖像画
宗教画
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  • 『十字架を担うキリスト』(1510年頃)
  • 聖家族と羊飼い』(1510年頃)
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  • ジプシーの聖母』(1511年頃)
  • 『キリストの洗礼』(1511年-1512年頃)
  • 『大天使ラファエルとトビアス』(1512年-1514年頃)
  • 『ノリ・メ・タンゲレ』(1514年頃)
  • サクランボの聖母』(1515年)
  • 『貢の銭』(1516年)
  • 聖母子と聖ドロテア、聖ゲオルギウス』(1516年–1518年頃)
  • 『聖母被昇天』(1516年–1518年頃)
  • 『受胎告知(トレヴィーゾ大聖堂)』(1520年頃)
  • 『キリストの埋葬(ルーヴル美術館)』(1520年頃)
  • アヴェロルディ家の祭壇画』(1520年–1522年)
  • ペーザロ家の祭壇画』(1519年–1526年頃)
  • 聖母子と聖カテリナと羊飼い』(1530年頃)
  • 『アルドブランディーニの聖母』(1532年頃)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(パラティーナ美術館)』(1533年頃)
  • 『受胎告知(サン・ロッコ大同信会)』(1535年頃)
  • 『聖母の神殿奉献』(1534年-1538年頃)
  • シャッラの聖母』(1540年年頃)
  • 『洗礼者聖ヨハネ』(1540年-1542年頃)
  • 『荊冠のキリスト(ルーヴル美術館)』(1542年-1543年)
  • 『この人を見よ(ウィーン)』(1543年)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(カポディモンテ美術館)』(1550年頃)
  • 『アダムとイヴ』(1550年頃)
  • 『ラ・グロリア(聖三位一体の礼拝)』(1551年-1554年)
  • 『聖ラウレンティウスの殉教』(1548年-1559年頃)
  • 『キリストの埋葬(プラド美術館)』(1559年)
  • 『ゲツセマネの祈り』(1558年-1562年頃)
  • 『受胎告知(サン・サルバドール教会)』(1559年-1564年頃)
  • アルベルティーニの聖母』(1560年–1565年頃)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(エルミタージュ美術館)』(1565年頃)
  • 『聖マルガリタ』(1565年頃)
  • 『祝福するキリスト』(1570年頃)
  • 『荊冠のキリスト(ミュンヘン)』(1570年頃)
  • 『聖セバスティアヌス』(1570年-1572年)
  • スペインによって救済される宗教』(1572年-1575年)
  • 『ピエタ』(1575年-1576年)
関連項目
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